people of various ages and backgrounds engaging deeply with books and laptops in a calm, naturally-lit environment by DALL-E

幼少の頃は、ニュースを聞いたり新聞を読んだりして日々最新の時事を知るべきだと信じていた。だが、今日その内容を見ると、誰が亡くなったとか、凄惨な事件が起きたとか、不祥事があったとか、そんな情報ばかり入ってくる。

それらは確かに重要なことかもしれない。だが、その一つ一つに感情を揺り動かされていると、自分の感情の立ち位置が分からなくなってしまう。知ったところで、ただ一喜一憂するだけだ。

社会が多様化し情報が溢れるこの時代に、「知るべき」情報を全て知ることはできない。仮にできたとして、それを処理する時間が無ければ、右から左に流れていくか、消化不良で押し潰される。

一説によれば、現代人は一日で平安時代の人の一生分の情報に触れているという。それが本当かは疑わしいが、現代社会を生きる我々が、過去どの時代を生きた人々より多くの情報に接していることは間違いない。ところが、人間の脳の情報処理能力は、それに比例するどころか高々 1000 年では殆ど変わらないだろう。追いつこうとしたって、それは土台無理な話なのだ。

だから今こそ、厳選した情報を時間をかけて咀嚼する、スローフードならぬ「スローインフォメーション」が必要だ。情報を血肉とするには、その源を厳選し、内容を精査し、自分の頭で考え続けなければならない。学びて思わざれば則ち罔いのである。

「スローインフォメーション」の要素は大方次のようになるだろう。

  • 情報収集源を厳選する。
  • 手に入れた情報を咀嚼する。
  • 情報発信の比率を高める。

私はニュースを積極的に追うのを止めた。ソーシャルメディアのアカウントも LinkedIn を残して捨てた。最近の情報収集は専ら最近構築した RSS 購読環境に頼っている。購読先はできる限り一次情報を選択する。それら全てを読むのではなく、本当に今必要なものを選ぶ。まだ 100 件以上購読先が有り、もっと絞りたい。

せっかく良い情報を手に入れても、それを何にも活かさず忘れてしまっては何の意味も無い。情報を活きた知識にするには、それを漠然と受け入れるのではなく、懐疑的に精査し、自分で考えることが肝要だ。これはすぐ安直な結論に飛び付きがちな自分が最も苦手とする行為で、訓練の必要性を感じている。文章や備忘録に纏めるのが良さそうだ。

知識の定着に最も効果的な方法は他人に教えることである、ということは広く知られている。考えを文章にまとめて情報発信の比率を高めるべく、このウェブログの更新頻度を上げる試みも続けている。巷のブロガーとは比べるべくもないが、それでも去年より執筆頻度は高くなった。この傾向は維持したい。

「スローインフォメーション」は、情報技術を生業とする人間にあるまじき態度かもしれない。でも、私にとってはこれこそが情報に対する真摯な向き合い方だ。他者の争いを覗いて義憤に駆られる必要はない。遠くで起きた悲しい事故に心を乱すこともない。それらより、自分が大切だと思えることに真正面から向き合うことの方がずっと大切なのだ。