DALL-E が生成したコンクリートで囲われた鳥籠を突き破って飛び立つ水色の鳥の画像

X(旧 Twitter)でユーザータイムラインを閲覧するためにログインが事実上必須になってから久しい。Twitter アカウントを捨ててしまった自分にとって、X でしか得られない情報を得る手段はかなり限られてしまった。Yahoo! リアルタイム検索はその一つだが、その名の通り検索に重点が置かれていて特定のアカウントによる発信を一覧するのには不向きだ。ログインしていない状態で投稿を表示するためあの手この手で各種制限を回避するウェブサービスも存在したが、どうやらとうとう最後の穴が塞がれてしまい死んでしまった

ログインしなければ投稿を見せない、というのは X が行ってきた他の奇抜な施策に比べれば幾分の道理は有る。投稿を表示するための計算機資源だってタダではない。ありとあらゆる金策に走っているウェブサービスにとって、少なくとも短期的には割に合わない機能を提供し続ける理由は無い。Facebook や Instagram、LinkedIn のようにログインしなければ殆どその投稿を確認できないウェブサービスも珍しくない。寧ろその方が多数派かもしれない今日日、X は単にそちら側に加わっただけだという見方もできる。

しかし、それは同時に私が愛した開かれた場としての Twitter が死んでしまった(ことが改めて確認された)ことも意味する。ログインしなくても閲覧できるからこそ、企業は勿論、政府や地方自治体の発信場所として選ばれ、使われ続けてきた。そうでなくなった今、情報発信が閉ざされた場所で行われ続けることに残念さと違和感を覚える。

近年は Instagram のみで情報発信する企業も飲食店を中心に多い。Instagram アカウントを持たない私は、情報がログインの壁に遮られ歯痒い思いをすることが増えた。X でも同じ事が起これば、その傾向はますます加速していくだろう。

私はこの流れに断固逆らいたい。最新情報の入手は知る権利の基本として誰にでも遍く可能であるべきで、それがプラットフォーマーの一存によって捻じ曲げられることが有ってはならない。これは、X や Instagram で投稿してはならない、という意味ではない。X や Instagram でしか得られない情報があってはならない、という意味である。

ウェブも電子メールも元来非中央集権的で開かれた仕組みだ。最新情報の通知であれば、プラットフォーム非依存な RSS という優れた技術も既に有る。黎明期の開発者達がどの程度意図を持ってそう設計したのかは知らないが、先人達が齎してくれた恩恵は、末永く大事にしたい。

だから私がこのウェブログを GitHub Pages で公開しているのにも理由がある。それは GitHub を信用しているからではない。ウェブは誰からも開かれた場所であるべきだという私の信念が実践できる場だからだ。仮にある日突然 GitHub が無くなったり閉じた場になったとしても、手元の複製から同じウェブログが簡単に再現できる。言うなれば、私は GitHub を信頼しなくて良いという事実を信頼している。

Facebook も Instagram も Twitter もアカウントを持っていない化石のような私は、電子化を毛嫌いし紙に固執する老人を嗤えなくなるほど偏屈な年寄りになっただけだろうか。それでも私はこの信念を貫いていたい。たとえそれと共に殉教することになったとしても、一つでも多くの公的機関、企業、個人が開かれたウェブの大切さに気付き、再び共に築いてくれることを願って。