中古車販売店による度重なる不正が連日マスコミを賑わしている。故意に車体を傷付けて修理費を上乗せしたり、清掃と称して街路樹を枯死させたり、ということが行われていたようだ。報道では、このような問題行動が蔓延る原因としていくつかの要因が挙げられている。その中でも、高過ぎる営業目標や「環境整備点検」と称する厳しい管理が特に指摘されている。

それらはまさに、たまたま最近読んだ『測りすぎ』(ジェリー・Z・ミュラー著)で言及されていた状況そのものだ。『測りすぎ』では、誤った指標が使われること、特にそれが人事評価基準に組込まれる場合における弊害が、様々な分野における具体例と共に記されている。この問題は、教育や医療のような数値指標の弊害が分かりやすい分野は勿論のこと、数値とは一見縁遠いように思われる慈善事業ですら見られるものであるという。驚くべきことに、数値による評価が妥当だと考えられている金融や営業のような分野における能力給ですら、不正や短期主義が蔓延して機能不全に陥る。

であれば、より極端な基準が人事評価に直結すれば、不正が横行するのは最早当然の帰結だろう。検査あたりの利益を最大化することが至上命題になれば、車体を傷付けるのが手っ取り早い。落葉一つが自分の人事評価を左右するのであれば、原因を文字通り根本から断ち切るのが正義になる。

今回の中古車販売店における事例は極端なので、多くの人は指標が誤っていることにすぐに気付ける。困ったことに、『測りすぎ』に出てくる例も含め、世の中にあるほとんどの指標は一見妥当に見えてしまう。そして、自分も含め多くの人は透明性と公平性のために社会問題を測りたがっている。速度改善に取り組んだことのあるソフトウェア開発者としては、「改善するためにはまず測定」という原則が叩き込まれているので、尚更その欲求には抗い辛い。

それでも、ソフトウェアの世界ですら、正しく測定することは難しいことを思い返す必要が有る。予測できない要素が事実上無限に存在する実社会においては、その難しさは言うまでもないだろう。指標を振り翳してあーだこーだと外野から議論する前に、指標で本質を測ろうとする危うさこそ、まず推し量る必要が有ることを肝に命じておきたい。