私が好きな漫画作品の一つに『少女終末旅行』がある。退廃して終わりを迎えゆく世界を主人公の少女2人が旅していく物語だ。最初から最後まで独特な世界観が魅力的な作品だが、その中でも特に印象に残った言葉が有る。旅の途中で出会った技術者が、夢叶わずに去ってゆく。彼女は失敗に呆然となるが、やがてやり切ったかのような笑顔を見せる。それを見て、主人公の一人、ユーリが言う。「絶望と仲よくなったのかも」、と。

『限りある時間の使い方』(オリバー・バークマン著、高橋璃子訳)を読んで、ふとその台詞が思い出された。書名は一見よくある「時間を如何に効率的に使うか」を説く本に見える。しかし、実際の中身はそれらと一線を画している。時間は有限である。やりたい事はおろかやるべき事さえ全てをこなすことはできない。その事実を受け入れ、その居心地の悪さを楽しもうと説く。それはまさに「絶望と仲よく」なる態度ではなかろうか。

私もややこの著者が言うところの「生産性オタク」気質なきらいが有る。私は元来短気な人間だ。少しでも時間を無駄にしたと思うと損をした気分になる。都会に住んでいた頃は、5分毎に来る電車を1本逃がしただけでもツイてないと随分がっかりしたものだった。逆に、用事を束ねて事前に計画を練り、分単位の時間が短縮できたと悦に入ることもしばしばだった。完全に「時間をコントロールしよう」とする態度である。アルコール依存症と同じぐらい病的だ、と言われてみると、確かにそうだったかもしれない。

今でもその傾向はなかなか変わらない。それでも、東京より時間の流れが緩やかな地方に戻ったからか、歳を重ねたからか、最近は少し時間に対する向き合い方が変わってきたように思う。例えば、何かを忘れて家に帰る。昔はその度に自分の間抜けさに腹を立てていた。今はそれを、もう一度家に帰って身支度が整っているか確認したり、歩いたり走ったりして体を余計に動かしたりする良い機会だと捉え直せるようになってきた。

そんな捉え方の転換を促す様々な知見をこの本は提供してくれる。安息日にはエレベーターのボタンすら押さない敬虔なユダヤ教徒や、周囲の人間と同じ日に休むことを強制する国民の祝日。これまで自分が非効率な慣習だと捉えていた物事にも納得の理由があり寧ろ有意義な時間の使い方なのだ、という観点は慧眼だ。

生産性に囚われず、有限である時間に真正面から向き合う本書の態度。それはまさに『少女終末旅行』の主人公達の在り方そのものだと気付く。彼女達は、終わりへ向かう世界と自分達の旅について、過度に恐れることもなければ楽観することもない。生産性や時間の使い方に頭を悩ませることもない。 ただ今その瞬間の世界に向き合っている。その「今を生きる」姿こそが視聴当時の(そして今の)私には魅力的に写ったのだろう。そして、私もいつかはそうでありたい。