マシュー・サイド著『多様性の科学』を読んだ。内容には覚えがあったので、以前にも一度読んだはずだ。ただ、読んだこと自体を忘れていたので、備忘録代わりに記録を残すことにする。

多様性の重要性が叫ばれるようになって久しい。その根拠を効能の観点から説明している書だ。組織において思考の多様性が高ければ、考慮漏れが減り、より幅広い知見が得られ、より質の高い問題解決に繋がる、というのは直感的に理解できる。その直感が、本書では実験を通して科学的に裏打ちされている。性別などの情報を目隠しすることで無意識の偏見を取り除く手法は、差別解消に非常に効果的であり、今後より広まってほしい。

流れるように読める本書だが、気になった点も敢えて挙げることにする。

多様性が生む効能の側面が強調されているが、それだけを強調して推し進めることが本当に良いのだろうか。仮に「多様性を認めない方が長期的にも良い」という反証が見付かった際に、多様性を認めないことを許容する姿勢に繋がりかねない。実際には多様性には福祉や人権の側面も有って、それらについても何らかの言及が欲しかったところだ。

また、多様性とその利益は因果関係の特定が難しい。例えばプラダとグッチの業績について、確かに若年者が上層部に意見を伝える「陰の理事会」が違いに影響を与えた可能性はある。だからといって、それだけが原因だというのは早計だろう。

この本に限らないが、多様性の無さと右派を結び付ける傾向も気になる。確かに極右勢力がエコーチェンバー現象の影響を大きく受けているのは事実だろう。ただ、同様の事象は決して左派にとっても無縁ではないはずだ。

「多様性」の概念は比較的新しく、人によって理解や定義がまちまちな印象を受ける。私の理解も恐らく不十分だろう。だからこそ、本書が勧めるように異なる情報源から多様な意見を取り入れ、自分はどう向き合うべきか考え続けるのが大事なのだと思う。