ある種の欠乏に喘いでいる人が居るとき、その原因をその人の素質や行動に求める自己責任論の風潮がある。例えば、ある人が貧しいのは幼少期に真面目に勉強しなかったからだ、というのは割とよく聞く主張だ。それが時間や習慣のことであればなおさらである。例えば、ある人が薬を飲み忘れるのは、その人の注意が散漫であるからだ、というのは至極真っ当な主張に聞こえる。

これらの常識的な解釈に疑問を投げかけるのが『いつも「時間がない」あなたに ―欠乏の行動経済学―』(センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著、大田直子訳)である。曰く、欠乏は欠乏していること自体によって引き起こされる側面が(一般的に信じられている程度に比べて)かなり強い。欠乏に起因する焦りが視野狭窄(トンネリング)を招き、最適解から人々を遠ざける。本書は、その仮説を数々の興味深い実験を通して、慎重に他の要因を排除しながら立証していく。

思い返すと、確かに自分にも一度、とある料金の支払い免除の申請が期限に間に合わず正規の料金を支払うはめになったことがあった。この時は私のうっかりが原因だと思い込んでいた。しかし、良心的な解釈をするならば、これも欠乏による視野狭窄の一種であったと捉えることもできよう。

また、ゆとり(スラック)という概念も興味深い。人は皆余裕が無くなると過失を犯しやすくなる、というのは何となく常識的に認識している。しかし、それらが科学的に評価されることは珍しい。本書で述べられている種々の実験は、その影響が如何に大きいかを物語っている。

ある人が、自身の所属する会社ではいつも溢れるほど仕事が与えられ、それによって成果が出ている、と語っていたのを覚えている。当時も眉唾な話だと思っていたが、その考え方は本書によると間違っている。それは短期的には生産性の向上を齎すが、長期的には持続しない。

本書の良い所は、単純な問題提起だけではなく、その問題に対する解決策も同時に提示している点だ。具体的には、柔軟な給与支払(日払い等)、具体的な影響の数値化(例えば金利ではなく実際に支払う金額を表示する)、積立貯金、ローン手数料の一部預り金化、予測不可能な事象による影響を和らげる保険、定期的な通知等が挙げられている。一見何てことない案のように思えるが、それらがいかに効果的であるかは本文中で述べられた数々の実験が立証している。

私もこれらの処方箋を参考に、自らの欠乏、特に時間的な欠乏に対処していきたい。