デジタルの真の利点
書籍は電子が良いか紙が良いか。今では最もありふれたデジタル対アナログを象徴する議論の一つだ。デジタルの利点として、データの保存が容易であることがしばしば挙げられる。確かに、何十冊もの本を物理的に保管するのは結構な労苦であるが、電子であればたかだか数メガバイトの保存領域を確保するだけで良い。
しかし、それはデジタルの最も大きな恩恵だろうか。確かに、デジタルな情報を保存するのに物理的な場所を確保する必要はない。 一方で、一度保存されたデジタルデータを適切に管理することは難しい。例えば光学メディアに保存した場合、物理的な損傷でデータが読み出せなくなってしまう可能性がある。
物理的な損傷は紙の本でも発生し得るが、紙の本であれば少々虫食いが発生してもその全てが読めなくなってしまうという恐れはほぼ無い。 一方で、電子データはその重要な箇所に損傷が発生した場合その全てが台無しになってしまう可能性がある。また仮に電子データ自体に欠損がなかったとしてもその保存形式を読み出すソフトウェアが一度失われてしまうとその読み出しを再度可能するには相当な労力が必要になる。Kindle のようにデータに特殊な保護が施されていれば尚更だ。
これを防ぐには、電子データであっても定期的に棚卸して、必要に応じデータを再加工、再保存しなければならない。それはあたかも紙の本を定期的に書庫から取り出し風通しをしてやる図書館の整理のようだ。 紙の本の場合、その物理的な存在や、それが経年劣化して見た目が変わる(例えば埃を被ること)により、手入れの重要性が一目で分かる。他方、デジタルに関してはそのようなきっかけが無く、手入れの必要に対する認知も低いため、忘れ去られ易い。
ここまで見てきたように、デジタルの利点は実は保存の容易さではない。その逆で、削除がしやすいことではないかと考えている。紙の本の処分は大変である。冊数がまとまれば、重さも馬鹿にならない。 しかし等価な電子データであれば、その消去は指先一つで簡単にできてしまう。物理的な媒体に記録されいても、その大きさと重さはアナログのそれと比べて遥かに小さい。思い立ったら即消去できる。
そして、それはデジタルの世界における自分という存在にまで及ぶ。アナログの世界では自分が生きている限り、自分の存在を抹消することは難しい。少なくとも、戸籍制度を持つ現代日本ではほぼ不可能だ。しかしデジタルの世界であれば、全てのアカウントを一度完全に消去することで、自分の行動履歴、言わば存在の証を完全に消し去ることができる。これはいわばデジタルの世界における輪廻転生であり、過去の柵から解き放たれるある種の救済でもある。
そんなことを年末の大掃除と称して使わなくなった Web サービスのアカウントを一つ一つ削除しているときに考えていたのであった。